近代以降〜

1874

アメリカ

マサチューセッツ州で婦人の労働時間を一日10時間,週160時間と規制する法律が制定。

1875

明治8

フランス人医師マイエ,富岡製紙所から生野鉱山に移り,フランス人技術者の診療を行う。

1875

イギリス

煙突掃除人法が制定。煙突掃除人に免許制が取り入れられ,陰嚢癌の発生が減少する。

1876

明治9

内務省に衛生局が設立(庶務、製表、種痘、売薬、医務、保健、統計の七課)。

1877

明治10

大蔵省紙幣局(のちの印刷局)における職工の衛生管理のため、医員をおく。

1877

フランス人医師ビダール,横須賀造船所でフランス人の健康管理を行う。

1877

古河市兵衛、足尾銅山を買収。

1877

コレラ大流行

1878

明治11

内務省が脚気病院を設立。

1878

イギリス

「工場と職場法」により,主任工場監督官制度が発足。

1878

ドイツ

BASF社工場医ネイが病気と外傷による労働時間の損失と疾病率を報告(鉛疝痛やニトロベンゼン中毒,硫化水素中毒についても報告したほか,疾病と職場環境の関係を調査した)。

1879

明治12

コレラ大流行,患者総数162,637人,死亡105,786人。

1879

内務省に中央衛生会、各府県に地方衛生会が置かれ,伝染病に備えた。

1880

明治13

日本初の民間の衛生団体、愛衆社設立。

1880

内務省衛生局より「虎烈刺予防諭解」が各教導職に頒布、コレラの予防をうながす。

1881

明治14

鹿児島紡績で一日二交代制勤務が始まる。

1881

「職業衛生概論」が翻訳され、東京医事新誌に掲載。日本初の労働衛生概論。訳者は不明。

1882

明治15

東京大学医学部に脚気病室が置かれ,脚気の治療に関する科学的な研究を始める。

1882

ドイツ

コッホが結核菌を発見。

1883

明治16

大日本私立衛生会設立、「大日本私立衛生会雑誌」を発行。

1883

東京医事新誌に黄燐マッチによる小児の家庭内での燐中毒の多発を報告。

1883

桑原紡績で深夜業が始まる。

1883

イギリス

鉛中毒の予防に関する法規を制定。

1883

ドイツ

ビスマルク,「疾病保険法」施行。

1884

明治17

足尾銅山、日本の銅産出量の40%以上を占める。本山に医局開設。

1884

高島炭坑コレラ発生(→1895)3000人の従業員の内半数が死亡。

1884

「身体労動論」を翻訳、東京医事新誌に掲載(日本初の労動生理学に関する論文)。

1884

ドイツ

コッホ、コレラ菌を発見。

1884

ドイツ

BASF社が健康保険基金を設立し,休業した労働者に対し,75%の最低賃金保証を実施する。

1885

明治18

石川清忠,講演「工業病並ニ予防法」の中で黄燐マッチ工場での燐中毒について述べる。

1885

内務省通達により黄燐マッチの製造が禁止される(1890年には禁止が解除される)。

1885

陸軍で脚気予防のため麦飯の支給始まる。

1886

明治19

コレラ大流行、患者総数155,923人,死亡108,405人。

1887

明治20

後藤新平、「普通生理衛生学」を尋常師範学校中学校教科書として翻訳。

1888

明治21

後藤新平、「職業衛生法」を大日本私立衛生会雑誌に連載。

1889

明治22

鐘淵紡績会社、医局と病室を設置し、看護婦の勤務が始まる。

1889

1889

後藤新平、「国家衛生原理」を刊行。

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